
鰹纓「建設の歴史
わたくしから見た上里建設の成り立ちです。
写真を探してみると使えるものがあまりないものです。
そのなかで、何枚かを紹介します。
なんでちゃんとした写真ないの?といったら
実際「人物がないと建物だけとらないよ」と言われました
そうだなぁと思いました。

最初の事務所は貸家の半分を借りた大変小さいスペースでした。
お風呂場があって、使わずに図面置場になってました。
この当時は黒電話だったのを覚えてています。
この写真は昭和53年頃の写真のようです。
昭和48年頃〜ここに事務所があったようです。
当時は鳶職の人も従業員でいました
基礎工事と足場工事は社内で工事してました。
ブロックが大量にいつも仕入れてあり近くの置場においてありました
、巨大ブロックだと私と兄弟たちは解釈して
勝手に秘密基地をつくり、角が欠けていつも怒られていました
また家が完成した時の掃除も従業員全員でしていたそうです。
そのほうが、傷とかわかるからというのが理由みたい。

手狭になって隣接していた北側の土地を買い
事務所を建てました。
後ろに立っている平屋の事務所と倉庫を新設しました
当時は大工さんが倉庫で材木をきざんでいました
今はプレカットで倉庫はあまり必要でなくなりました。
また足場も木製だったのですが、すべて単管足場に
変更になりました。
公共工事等の指名になっていった頃です。
昭和57年頃の写真だと思います。

なぜか白黒写真。新社屋の建設当時の写真です
営業主力が鉄骨工事が中心となっていきました。
一階に経理受付二階に工事部がありました。
社屋が完成した時は庭でパーティーが開かれました。
昭和59年ころの写真です。

南側にさらに増築をしました。
平成8年当時の写真です。
これからは建設業ではなく
違う業種で事業の拡大を目標として
平成2年にホテル本庄と
フランス料理と鉄板スタイルのレストラン ピエトラがオープンしました。
高級店であったピエトラは売上が平成17年?に閉店しました。
今は朝食のだけに使っています。ホテルの一階に居酒屋つつみ
も作りましたが3年程度営業して閉店
3部屋の客室に変更しました。
ホテル本庄は平成17年に分社して有限会社ホテル本庄として
兄が経営しています。
平成15年 本庄営業所 開設
